PROFILE
Toshio Tsurutani
1954年に釣谷建築事務所を開設し、所長に就任。その後、法人組織(釣谷建築事務所)に変更し、取締役社長に就任。2003年に同社代表取締役会長に就任。その間、1978年から1996年まで石川県建築士会会長を務めたほか県建築士審査会委員長、日本建築家協会北陸支部長を歴任。
1988年建築大臣表彰受賞。1995年勲五等双光旭日章受章。1998年金沢市産業功労賞受賞。
石川県、北陸の建築界と地域の発展に大きく貢献した。
釣谷 利夫 (つるたに としお)
1924年(大正13年)金沢市生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。
建築家、釣谷建築事務所元代表取締役社長、元会長
1954年に釣谷建築事務所を開設し、所長に就任。その後、法人組織(釣谷建築事務所)に変更し、取締役社長に就任。2003年に同社代表取締役会長に就任。その間、1978年から1996年まで石川県建築士会会長を務めたほか県建築士審査会委員長、日本建築家協会北陸支部長を歴任。
1988年建築大臣表彰受賞。1995年勲五等双光旭日章受章。1998年金沢市産業功労賞受賞。
石川県、北陸の建築界と地域の発展に大きく貢献した。
釣谷 利夫 (つるたに としお)
1924年(大正13年)金沢市生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。
建築家、釣谷建築事務所元代表取締役社長、元会長
1954年に釣谷建築事務所を開設し、所長に就任。その後、法人組織(釣谷建築事務所)に変更し、取締役社長に就任。2003年に同社代表取締役会長に就任。その間、1978年から1996年まで石川県建築士会会長を務めたほか県建築士審査会委員長、日本建築家協会北陸支部長を歴任。
1988年建築大臣表彰受賞。1995年勲五等双光旭日章受章。1998年金沢市産業功労賞受賞。
石川県、北陸の建築界と地域の発展に大きく貢献した。
釣谷 利夫 (つるたに としお)
1924年(大正13年)金沢市生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。
建築家、釣谷建築事務所元代表取締役社長、元会長
1954年に釣谷建築事務所を開設し、所長に就任。その後、法人組織(釣谷建築事務所)に変更し、取締役社長に就任。2003年に同社代表取締役会長に就任。
その間、1978年から1996年まで石川県建築士会会長を務めたほか県建築士審査会委員長、日本建築家協会北陸支部長を歴任。
1988年建築大臣表彰受賞。1995年勲五等双光旭日章受章。1998年金沢市産業功労賞受賞。
石川県、北陸の建築界と地域の発展に大きく貢献した。
釣谷 利夫 (つるたに としお)
1924年(大正13年)金沢市生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。
建築家、釣谷建築事務所元代表取締役社長、元会長
1942(昭和17年) 石川県立金沢第一中学校 卒業
1944(昭和19年) 第四高等学校理科 卒業
東京大学工学部航空機体学科 入学
1945(昭和20年) 同上工学部建築学科に転科
1948(昭和23年) 同上工学部建築学科 卒業
明楽工業株式会社建築部〈東京都)
1949(昭和24年) 金沢市土木部建築課 技士
1950(昭和25年) 株式会社濱田工務店 設計課長
1954(昭和29年) 釣谷建築設計事務所を開設 所長に就任
1942(昭和17年)
石川県立金沢第一中学校 卒業
1944(昭和19年)
第四高等学校理科 卒業
東京大学工学部航空機体学科 入学
1945(昭和20年)
同上工学部建築学科に転科
1948(昭和23年)
同上工学部建築学科 卒業
明楽工業株式会社建築部〈東京都)
1949(昭和24年)
金沢市土木部建築課 技士
1950(昭和25年)
株式会社濱田工務店 設計課長
1954(昭和29年)
釣谷建築設計事務所を開設 所長に就任
東京大学工学部航空機体学科に入学するも、第二次世界大戦の終戦が運命の境目で当時の花形であった航空機の専門課程を断念し、翌年建築学科に転科する。卒業後、地元の工務店や金沢市役所土木部建築課技士の勤務を経て、1954(昭和29年)に釣谷建築設計事務所を設立した。
天性豊かな建築感覚で、独自の風格を持つ作品を数多く設計。気取らず豪放磊落な性格で、2011(平成23年)に逝去するまでたくさんの人に慕われた。
東京大学工学部航空機体学科に入学するも、第二次世界大戦の終戦が運命の境目で当時の花形であった航空機の専門課程を断念し、翌年建築学科に転科する。卒業後、地元の工務店や金沢市役所土木部建築課技士の勤務を経て、1954(昭和29年)に釣谷建築設計事務所を設立した。
天性豊かな建築感覚で、独自の風格を持つ作品を数多く設計。気取らず、豪放磊落な性格で、2011(平成23年)に逝去するまでたくさんの人に慕われた。
また、建築事務所を経営するかたわら、多くの建築・設計に関する団体の役員に就任した。その職務を通じ、建築文化の向上や伝統建造物の保存、後進の指導育成に努めるなど、地域社会の充実と発展に貢献し、石川の建築設計界の中心に存在した。
これらの功績が認められ1988(昭和63年)建設大臣表彰を受賞。1995(平成7年春)には勲五等双光旭日章を受章した。
また、建築事務所を経営するかたわら、多くの建築・設計に関する団体の役員に就任した。その職務を通じ、建築文化の向上や伝統建造物の保存、後進の指導育成に努めるなど、地域社会の充実と発展に貢献し、石川の建築設計界の中心に存在した。
これらの功績が認められ、1988(昭和63年)建設大臣表彰を受賞。1995(平成7年春)には勲五等双光旭日章を受章した。
1970年(昭和45年)以来、金沢市長の諮問機関の委員を永らく務め、県庁跡地問題等においても大きな役割を果たした。
『美しき川の流れたり。緑濃き小高き丘めぐる。懐かしき坂道と路地の行き交い…』
美しくもやさしきこの地に住む幸せを底流として、次の世代に力強い発の迫力を具現する奥深い都市形成を見出したいものだと、創立40周年記念誌に記している。
金沢という街をこよなく愛し、故郷石川の伝統と風土に調和した建築物をたくさん残した。
1970年(昭和45年)以来、金沢市長の諮問機関の委員を永らく務め、県庁跡地問題等においても大きな役割を果たした。
『美しき川の流れたり。緑濃き小高き丘めぐる。
懐かしき坂道と路地の行き交い…』
美しくもやさしきこの地に住む幸せを底流として、次の世代に力強い発の迫力を具現する奥深い都市形成を見出したいものだと、創立40周年記念誌に記している。
金沢という街をこよなく愛し、故郷石川の伝統と風土に調和した建築物をたくさん残した。
1970年(昭和45年)以来、金沢市長の諮問機関の委員を永らく務め、県庁跡地問題等においても大きな役割を果たした。
『美しき川の流れたり。緑濃き小高き丘めぐる。
懐かしき坂道と路地の行き交い…』
美しくもやさしきこの地に住む幸せを底流として、次の世代に力強い発の迫力を具現する奥深い都市形成を見出したいものだと、創立40周年記念誌に記している。
金沢という街をこよなく愛し、故郷石川の伝統と風土に調和した建築物をたくさん残した。